最近脚本の勉強をしている。
今更になって、本当に今更になってなのだが、また漫画を描きたくなったからだ。
何故描きたくなったのかは話すと長くなるのでここでは省略するが、一言で言えば後悔したくなかったからだ。あとあと歳食ってからあぁやっぱりあの時描いておけば良かったと思いたくないから。
描けるときに、創れるときに作っておくべきだと思ったのだ。
まぁこれについてはまた触れるとして。
今回話したいのは脚本術について。

自分は一応、それなりに作品は作ってきた。漫画も没になったものも含めれば恐らく10作程度は描いたと思う。それなのに、今頃になってやっと気づいたことがある。
漫画はつまらないページの方が多い。
これは漫画に限らない。映画でもアニメでも小説でも、いわゆる物語を紡ぐジャンルはすべてそうなのではないかと思う。どういうことかというと、つまり全体のボリュームの約7割程度がほぼ説明なのだ。盛り上がるシーンはせいぜい1割か2割。
そしてその説明のまた約8割が登場人物、特に主人公についての説明である。あとは世界観とか設定とか、そういった背景部分についての説明。

自分は正直あまり説明文が好きではない。出来るだけ書きたくないし読みたくない。ページが文字でほぼ埋め尽くされていたりするともうそれだけでうんざりするタイプだ。時間の進むスピードが早い現代では自分のような方もいくらかいらっしゃるのではないかと思う。だから自分が描くときも説明をできるだけ省くようにしてきた。
「こんな説明ページ、きっと読んでいても面白くないよな。さっさと盛り上がるシーンにいっちゃおう」
そんな感じで前段は飛ばし気味で派手なシーン、楽しいシーンを中心に描こうとしてきた。
説明文をわかりやすく、簡潔にすること自体は間違いではない。が、説明そのものを嫌がっていてはダメだということに脚本術を勉強して気がついた。
先日、ある映画を観た。
ここでは具体的なタイトル名は避けるが、その映画はすごいパワーを持っていて、映像は派手で演じている俳優も豪華、かなりの手間と予算をかけて制作されたであろう作品だった。
が、正直なところ面白かったかというと、あまり面白くなかったのだ。
というのも全体的に派手で盛り上がっているシーンが多かったのだが、その盛り上がりについていけなかった。主人公たちがどういう背景、どういう目的でその行動をしているかが説明不足、不明瞭で、気持ちが入りきらないまま盛り上がるシーンにいってしまったものだからいわば置き去りにされてしまった感じで、折角の見所となる筈のシーンが響かなかったのだ。
実際、ある有名漫画の第1話を分析してみた。
するとやはりその大部分が説明ページだったことに気がついた。

全体で54ページだったが、冒頭から33ページまでが若干の派手めシーンがあるもののほぼ説明。ジャンルはバトル漫画だったが肝心のバトルシーンは約14ページ。ページによってはかなり小さめにコマ割がしてあったので相当考えて、削って削ってなんとかこの1話内に必要な要素を収め切ったという感じだった。ちなみにラストの最も盛り上がるシーンはなんとたったの5ページ。
なんでもそうかもしれないが、エンタメ作品、ひいては芸術作品は、制作者が表現したい「ある一瞬」のために制作される。クリエイターはそこを目指してあらゆる要素を積み上げてゆき、崩れないように崩さないように丁寧に丁寧に組み立てて最後の最後に着火して特大の花火を上げる。その「ある一瞬」は文字通り数秒に満たない。だがそこで産み出された数秒が見た人の人生を変える。そういうものが、いわゆる名作と呼ばれるのではないかと思う。
自分は今までそこが圧倒的に足りていなかったように思う。面倒くさがってちゃんと足場を踏み固めていなかった。
まだまだ勉強不足だなぁ、と感じた夜でした。
コメント